旅のつづき
http://solari8823.sakeblog.net/
旅の記録
ja
2020-01-17T18:38:31+09:00
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E7%82%BA%E6%A0%97
11/10月14日 飯田線 為栗
平岡駅は立派な温泉施設、宿泊施設、レストランなどがある建物に併設されていた。飯田線、秘境ゾーンで食事などてきる駅はここしかない。しかしながらレストランによることもなく、土産売り場と一体なような待合室で弁当など食べた。時間があったので風呂などど思ってもこんな時間はまだ開いてない。実はレストランもま...
平岡駅は立派な温泉施設、宿泊施設、レストランなどがある建物に併設されていた。飯田線、秘境ゾーンで食事などてきる駅はここしかない。しかしながらレストランによることもなく、土産売り場と一体なような待合室で弁当など食べた。時間があったので風呂などど思ってもこんな時間はまだ開いてない。実はレストランもまだだった。
飯田線秘境駅巡りをされる方は、時刻表の検討もさることながら、食糧計画をみっちり立てないとひもじい思いをすることになりますよ。老爺心か?
そんなこんなで為栗駅。平岡発11:36、為栗着 11:43。隣駅。
写真はホームから豊橋方向を臨んでいる。天竜川がすぐよこにゆったりと流れている(ようには見えないが)。吊り橋がみえる。
秘境駅にしては立派な取り付け道路があるが、車でここまで来れるわけではない。
飯田方向。道路は駅横で終わっている。白いのが待合室。ホームは弧を描いているが、このへんじゃ真っ直ぐなホームのほうが少数派である。
待合室。ベンチ上、左の箱は駅ノート等。
いまさらであるが、為栗 してぐり。
難読駅である。
しかし隣の ぬくた 温田 だって結構難読である。
吊り橋の方へ歩いてみた。
小さな橋を超えたところで駅を見る。
ちなみにこのあたりだと車が通るに十分な幅があるが。
吊り橋の名はズバリ「天竜橋」である。
橋の袂では、車が通れないようになっていた。この車止めがなくても吊り橋の幅は軽でも難しいだろう。なお、二輪車は通行可。
吊り橋なので、歩くとそれなりに揺れる。
この吊り橋を含め、駅までの道も長野県道430号だ。従って駅の横が430号の一方の起点なのだ。
橋の上から駅を見ていると特急伊那路1号 飯田行が為栗駅を通過していった。
たまには特急にも乗りたいね・・・
13:17 豊橋行普通。
私はこのあとの13:45 上諏訪行にて千代駅へ向かった。
]]>
旅
2012-08-14T08:29:56+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E7%94%B0%E6%9C%AC%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89
11/10月14日 飯田線 田本(2)
前回更新したのがいつだったか、忘れてしまったほど間が空いてしまった。身辺に変動があり、書いている暇はあったが(w)書く気になれずにいた。しかし、もうまた18切符のシーズンである。というか、まごまごしていると終わってしまう。
しばらくしたら東北方面に行く予定なのだが、そのまえにブログのほうも多...
前回更新したのがいつだったか、忘れてしまったほど間が空いてしまった。身辺に変動があり、書いている暇はあったが(w)書く気になれずにいた。しかし、もうまた18切符のシーズンである。というか、まごまごしていると終わってしまう。
しばらくしたら東北方面に行く予定なのだが、そのまえにブログのほうも多少実時間に近づけておこうと思い、ここ2,3日で集中して更新しておくことにした。
ということで まったくブランクを無視して、田本(2)。
ホームから線路の向こうを覗き込めば天竜川が見える。が、木々に阻まれ見通しはよくない。
待合室。これだけ。 だが、この写真では見えないが、しっかり
「警察官立寄所」という看板がついていた。しかし、立ち寄らないだろうなぁ、立ち寄るわけないよなー。列車で来るのかね。w
全景。あいにく天気がよくない。空の色がなぁ・・。
当然だが、正面のはしごは登ってはならない。登ったところで、どうということがあるとも思えないが。
コンクリートの擁壁に岩が飛び出している。
その岩を下からみると、こんな風。飛び出しがあまりないので、大きいが恐怖感はない。 しかし、当時こんな場所の、こんな岩がごろごろしてるような崖にこのような擁壁を
つくるのはたいへんな難工事だったではあるまいか。
9:42発 中部天竜行 到着。これにて平岡に向かい、なにか食べ物を調達したい。
なにしろ昨夜から何も食べてないのだ。
田本駅については、最後まで記事がスカスカだったが、実は書くことがない。なにしろこれだけなので。でもいつかまた来そうな気がする。(w)
]]>
旅
2012-08-13T10:16:27+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E7%94%B0%E6%9C%AC
11/10月14日 飯田線 田本
8:49田本着。降りたのは私一人だった。写真を撮り始めて振り返ると人がいた。びっくり。この人は泰阜村のキャンプ場に仲間とバイクできたそうだが、この駅が気になって徒歩で1時間かけて来たそうであった。
とりあえず駅名票。
飯田方向。トンネルである。トンネルの向こ...
とりあえず駅名票。
飯田方向。トンネルである。トンネルの向こうはまたトンネルである。
豊橋方向。こっちもトンネル。お約束ですな。
豊橋方向のホームのはずれの先に、道路というのか、通路というのか、獣道というか、道がある。水色の箱は乗車券回収箱。
その先、階段。
階段を上れば豊橋側トンネルの上である。定番の撮影スポットですな。とりあえず私も撮った。
ちょっと角度をずらしてみた。いずれにせよ、列車は来ないw。
ここで列車を待って撮るのがマニアですかね。面倒くさいので私は待たないが。
そのわずか、先。道が2方に分かれる。左に行けば上り続けて県道に至り、右
に行けば天竜川にかかる吊橋に至る。
すかすかの記事であるが、暇があれば追記するとして、次回、田本2。
]]>
旅
2012-04-15T00:02:24+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%89
11/10月14日 飯田線 小和田(3)
小和田駅 3回目。しつこい?ネタが豊富な駅なので勘弁。
始発前に。
豊橋側トンネルの横に小さいホームがある。貨物用であったらしい。
線路上には、乗り越し転轍機と呼ばれる分岐装置がある。その装置を知っていたわけではなく、後に調べて知ったのだ。手動で線路を切り替える装置の一種。
...
始発前に。
豊橋側トンネルの横に小さいホームがある。貨物用であったらしい。
線路上には、乗り越し転轍機と呼ばれる分岐装置がある。その装置を知っていたわけではなく、後に調べて知ったのだ。手動で線路を切り替える装置の一種。
駅舎に貼られていた資産票。昭和8年12月。(だろうなぁ)資産票自体はもちろん、昭和8年のものじゃないだろう。もっともこの駅が建てられたときは国鉄ではなく、三信鉄道だったのだから、当然か。
トイレ。古いけどきれいである。
駅舎の裏側。アングル鋼で作られた補強が取り付けられていた。錆などほとんど無いところを見れば比較的最近付けられたものと思われる。
飯田方向。秘境駅の作法に則ってこの駅も両側はトンネルである。w
ホーム上には3県の県境を示す表示や「恋成就駅」などという木製の碑(?)があったりするのだが、なにしろ小和田駅の写真はあちこちのHPにあまた存在するので、敢えて載せないことにする。
扉を全開にして撮ってみた。この机は、この駅を訪ねた方々の過去の写真をみれば、待合室内をあちこち放浪しているようである。現在の位置がここということらしい。w 上にちょっと写っている写真はこの駅で行われた結婚式の時のもの。あやかって十二単なんぞをお召しです。
しかし、こうして見ればえらく開放的な駅である。
最後に、ありふれた写真をもっ小和田駅終了とする。
ほんの十年ほどの前の写真を見れば、反対側のホームにも線路があったり、駅下の例の四阿のそばにも結婚式で使われた施設が残っていたのだが、現在は線路は撤去され、施設も取り壊されている。四阿だっていつまであるか、わからない。しかし、駅舎は当分残りそうな気がする。残してほしい。
8:16、次の駅、田本へ発車。
]]>
旅
2012-03-24T01:56:48+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89
11/10月14日 飯田線 小和田(2)
駅を出る道は、現在一本しかない。
巾1メートル程度のメインストリート。メインストリートであるからして、アスファルト舗装であるのは当然である。下るメインストリートの先には四阿(あずまや)風の物件があった。小和田駅が一瞬脚光を浴びた時、ーー皇太子ご成婚、妃の旧姓が小和田(おわだ)であったとい...
駅を出る道は、現在一本しかない。
巾1メートル程度のメインストリート。メインストリートであるからして、アスファルト舗装であるのは当然である。下るメインストリートの先には四阿(あずまや)風の物件があった。小和田駅が一瞬脚光を浴びた時、ーー皇太子ご成婚、妃の旧姓が小和田(おわだ)であったというだけのことなのだがーー観光客が少なからず訪れたという。この駅で結婚式をしたというカップルまでいた。その式の写真は今も駅に飾られていたが、そんな観光客のためにつくられたものである。過ぎてしまえばかなりお間抜け、オーパーツみたいな代物であるが、(ちょっとちがうかw)これも一つの歴史というものか。四阿になにがあるかといえば二人懸けの木製の椅子である。背凭れが大きいのがそれ風。その背凭れには「小和田発ラブストーリー」「お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれていた。
四阿の手前で右に曲がれば、いきなり階段であった。そして階段の先には有名な廃屋が二棟。かつての茶工場だそうである。大きい方は住居も兼ねていたそうで、居住されていたらしい。
ネットで調べてみると70年代ころまでは稼動していたようである。廃屋になって三十数年から四十数年というところであろうか。
その母屋といいますか、大きい方の建物の南側へ回ってみた。戸が外れている。おおかた、どこぞの不埒者のしわざであろう。でかい家だが工場と住居が兼務されていたようである。写真でわかるように、なにやら茶の製造に使われたらしい機材が見える。ここに住んでみたいと思った私は変なやつでしょうか?
廃屋から歩いて数分。写真は廃屋方向に向かって撮った。右は天竜川。言うまでもないか。
鉄製の柵は、駅から帰る住民が、酔っ払って川に落ちないように、と設置されたものである。
さらに進むと右側にあった廃屋。立派である。住宅というよ、りまるで山城のよう。しかしながら、いつから放置されたのか、今となってはどこから行けばいいのかすらわからん状態であった。
さらにさらに進んで初めての分岐点。とてもそうは見えないかもしれないが分岐点である。右に進めば40分で塩沢集落に至る。なぜならばそういう標識があったからである。写真は撮ったがサーバースペースの問題もあり掲載はしない。で、とりあえず右方向、塩沢集落に向かってみた。
写真では出さないが上の写真、右方向に行けば、すぐ一軒の住宅がある。見たところ現在も居住されているようであったが定かではない。さらに鉄製の網で作られたような道というか、通路を進むと現れた吊橋。
さらに30分ほど行けば塩沢集落に至るようだが、時間的制約もあり、私は橋を渡ったところで引き返した。ここまで駅から約20分ほどである。写真撮りながらなのでかなりのんびりペースだとは思うが。
二つ上の写真の分岐点まで戻り、左へ行った。目指すは通行不能な高瀬橋。分岐から少し進んだところでこれである。神よ、我に幸運を。というほどのものでもないかw。
さらに進めば・・・おい、行き止まりか?
右の岩と中央の倒木の間に、人ひとり通れるくらいのスペースがあった。
そのすぐ先にあったのはこの光景。高瀬橋到着。分岐点から10分くらいである。
橋の残骸が残っているというか、引っかかっているというか。
こりゃ渡れと言われても渡れるもんじゃありませんな。
復旧しない理由、利用者がいないから。
数年後にはどのように変貌しているでしょうか。
このあと、来た道を戻り駅に帰った。他に道もなし。 次回 明るい小和田駅。
]]>
旅
2012-03-06T20:09:17+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%93%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89
11/10月13日 飯田線 小和田(1)
10月には鉄道の日記念日切符というのが発売される。3日間で9180円、18切符より1日当たりではちょっと高いが、普通列車乗り放題は同じである。これを使って飯田線の駅を巡ることにした。
10月13日、千葉から東京、上諏訪、と乗りついで小和田駅に到着したののは20:35 豊橋行き最終であった。当然...
10月13日、千葉から東京、上諏訪、と乗りついで小和田駅に到着したののは20:35 豊橋行き最終であった。当然と言えば当然だが降りたのは一人だけだった。
夜の小和田駅ホーム。豊橋方向。駅舎は前方ホームのはずれ、階段を下ったところにある。
駅舎とホーム階段。改札口の上にある建物資産票には S.08.12とあった。
待合室。改札側には戸がない。なぜか事務机。机の上には駅ノートやら、誰かが寄贈したと思われるキンチョールなどが置かれていた。戸がないのだからキンチョールの効果もどれほどあるのか。しかしこのときはすでに秋も半ばで虫に悩まされることはなかった。
正面(?)入り口。こっちは戸がある。
背後にトイレがある。以前あった自販機(の残骸)はもう無かった。
寝袋の上にあるのは途中で買った弁当と酒。まぁ酒さえあればすべてよし。一番安全な駅が今宵の宿。
なにが安全たって、この駅のように車やバイクで来れない場所ほど安全なところはありませんな。ほろ酔いで熟睡。
朝の駅舎。6時少し前。始発が到着するにはまだしばらくある。
曇ってはいるが雨が降るような気配もない。
夜より静かであった。夜は静かではあるのだが、時折、鳥(だと思う)の鳴き声などが響くのだった。
別方向から。飯田方向。
このあと、たいして汚れてもいない待合室であったが、一宿の恩義に報いるため掃除をし、周辺の探索に出かけた。
なにしろこの駅周辺はかなり興味深いところである。
小和田駅、つづく。
]]>
旅
2012-03-04T05:05:34+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%E5%9D%AA%E5%B0%BB%E9%A7%85%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0
坪尻駅の不思議
ところで、面白いことを書き忘れていたので追記しておく。
坪尻にて踏み切りを渡り、スイッチバック引込み線沿いに行いけば左側の谷には川が流れていると書いた。踏み切りをまっすぐいくと廃屋があり、そのそばに滝が見えるとも書いた。だが、そのまま行っても川には遭遇しないのである。はて?面妖な。
後に 国...
坪尻にて踏み切りを渡り、スイッチバック引込み線沿いに行いけば左側の谷には川が流れていると書いた。踏み切りをまっすぐいくと廃屋があり、そのそばに滝が見えるとも書いた。だが、そのまま行っても川には遭遇しないのである。はて?面妖な。
後に 国土地理院の地図(リンク)を見て仰天。実はこの鮎苦谷川、坪尻駅の平行部分は地下のトンネルというか、導水管を通っているのであった。しかもトンネルは2箇所あって、池田側トンネル(鉄道のトンネルね)の手前でまた導水トンネルに入り、線路の下をくぐっているのである。私が見た川はほんの百数十メートル見えている部分の一部だったわけだ。廃屋のそばで撮った滝の写真、あれはじつは上流側の導水トンネルの出口あたりなのだ。撮っている私の足の下を川は流れていたのである。たぶん。
調べてみると、坪尻は駅になるまえは列車交換のための信号場として作られたのだが、その際に作る場所がなく、川の流れを変えて、さらに川を埋め立ててつくったのだということであった。いやー、ご苦労な話です。
でだ、改めて「秘境駅へ行こう」の坪尻の項を見てみてば・・・・ちゃんとこのへんのことも記載されているではないか。お恥ずかしい。ぜんぜん記憶にありませんでした。
しかし、こうなるとその出口を是非見たいと思うのだが、見た人いませんかね。
]]>
旅
2012-02-17T17:42:51+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%99%E6%9C%88%EF%BC%94%E6%97%A5%EF%BC%88%EF%BC%94%EF%BC%89%E3%80%80%E5%9C%9F%E8%AE%83%E7%B7%9A%E3%80%80%E5%9D%AA%E5%B0%BB%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92
11/9月4日(4) 土讃線 坪尻 その2
坪尻、その2.
駅南側の踏み切り。
踏み切り上から駅を見る。
踏み切りの先に、かつて雑貨店だったという廃屋がある。この登山道のような道を廃屋前を通過して道なりに行けば、国道のバス停に至る。
   手前にバイクが転がっている。ホンダ TLM。1985...
駅南側の踏み切り。
踏み切り上から駅を見る。
踏み切りの先に、かつて雑貨店だったという廃屋がある。この登山道のような道を廃屋前を通過して道なりに行けば、国道のバス停に至る。
手前にバイクが転がっている。ホンダ TLM。1985年ころから発売された2サイクル トライアル車。これならこの山道も国道まで走れたであろう。ちなみに私は4サイクルのTLRを持っている。(だからどうした)
この雑貨店がいつまであったのかはしらないが、TLMがこの家のものだったのなら少なくとも1985年ころまでは居住されていたわけだ。
この廃屋あたりでは川音がかなりすごい。すこしうろうろして木々の間から川が見えるとこを見つけた。この写真ではわかりにくいかもしれないが、滝である。この滝のすぐそばにこの家はあったのだ。よく暮らせたと思うが、慣れということか。
落下している滝を撮りたかったが、あちこち探してみたが見える場所は無かった。どうも谷を下っていかないと見えないようで、断念。
スイッチバック引込み線から駅方向を見るが、駅はカーブの先で見えない。
線路脇を歩いてきたが、写真の右は谷になっていて川である。
左が本線。
引込み線終端。本線はトンネルである。坪尻も秘境駅によくある両側をトンネルに挟まれた駅なのであった。
当然だが、こちら側では引込み線のほうが本線より高くなっている。
このあと私は16:51の大歩危行に乗り一旦阿波池田に戻り、その後、岡山へ向かった。なぜならば16:51以外には上り下りあわせても18:35までこの駅に停車する列車がないからだった。
ところで、駅には先客なのか住人なのか、さだかでないが、下の写真の方がいらっしゃった。
こちらを睨んでいるようにも見える。w
川からここまでやってきたのであろうか。
すまぬ、邪魔者は去りますよ。
さて、このあと、池田から岡山まではすんなり行けたのだが、そこから先が滅茶苦茶であった。台風のせいである。考えてみれば、台風の進行方向をあとから追いかけている形になってしまったわけで、この日は京都まで行くつもりだったのが、電車は西明石でストップしてしまった。時刻はすでに0時をまわっていた。西明石では、乗客はJRが手配したタクシーに目的方向ごと、相乗りで向かうことになった。私は面倒なので西明石駅に泊まってしまった。駅で寝ていいか?と駅員に尋ねると、「どうぞ、どうぞ」という感じで了解された。(爆)
夏の旅、終わり。次回から飯田線。
]]>
旅
2012-02-16T23:04:12+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%99%E6%9C%88%EF%BC%94%E6%97%A5%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%89%E3%80%80%E5%9C%9F%E8%AE%83%E7%B7%9A%E3%80%80%E5%9D%AA%E5%B0%BB
11/9月4日(3) 土讃線 坪尻
新改とともに、四国に2つしかないスイッチバック駅の坪尻。列車以外には徒歩で来るしかない駅である。
池田発多度津行、坪尻着13:54。この列車で下車。
写真は多度津方向。トンネルのあるのが本線。
多度津行がホームにいる間に、本線を阿波池田行が通過していった。
駅...
池田発多度津行、坪尻着13:54。この列車で下車。
写真は多度津方向。トンネルのあるのが本線。
多度津行がホームにいる間に、本線を阿波池田行が通過していった。
駅舎。屋根に苔が生えている。駅舎は昭和25年築だそうな。
改札口から。木製ベンチが両側にある。
「おつかれさまでした」 はい。疲れました。台風のせいで。
風合いからして、これは近年つけられたもののようだ。
なにしろ今となっては超人気駅で、夏のシーズンなぞ、十数名以上もお泊りになったりすることもあるそうな。
正面。駅前広場は結構広いが、「マムシ注意」の看板がある。
土讃線の坪尻駅あたりは鮎苦谷川(あいくるしだにがわ)に沿っている。
川沿いなのだから谷なわけで、駅からは東西どちらに向かおうと登り坂である。写真後方に木屋床(こやとこ)という集落に向かう道がある。道といっても登山道のような道であるが。木屋床集落までは地図でみれば直線距離で1kmもないようだが、なにしろうねうねと坂道を行くわけで30分くらいかかるらしい。
駅名看板。だいぶ痛んでいて、文字のパーツが欠けている。
ベンチの向こう側、木製の箱、というか本箱というか、その上にスタンプがある。本箱には漫画本が。「鉄子の旅」。
さて、そのスタンプ。謎の経歴を持つ、日本一有名なスタンプ。(またいい加減なことを w)
このスタンプは2010年の1月の終わりから2月の半ばくらいの間に、何者かに持ち去られ行方不明になっていたのだが、4月22日に、青森県津軽線の無人駅中沢駅でJR職員によって発見されたのである。スタンプはその後、坪尻駅に戻され、往復3000キロの旅をしたスタンプということになったのである。そしてそのスタンプは今も写真のように健在であった。
トイレである。これで泊まりも安心。戸をあけると、通路が素通しで、駅舎の反対側に出られる。写真はホーム側から。
スイッチバック 線路。手前右側、ホームへ。奥左、スイッチバック引込み線。
阿波池田方向。
上の写真は左写真の踏み切りのあたりで撮っている。ちょうど14:53の池田行が引込み線に入っている。
次回は踏み切りの向こう側。坪尻 その2へ続く。
]]>
旅
2012-02-07T16:07:37+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい
-
http://solari8823.sakeblog.net/%E6%97%85/%EF%BC%91%EF%BC%91-%EF%BC%99%E6%9C%88%EF%BC%94%E6%97%A5%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89%E3%80%80%E5%9C%9F%E8%AE%83%E7%B7%9A%E3%80%80%E6%96%B0%E6%94%B9%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92
11/9月4日(2) 土讃線 新改 その2
新改駅、つづき。
駅から少し下るとこんな道。何も無い。だが、さらに少し下ると産廃処理場があった。犬が吠えていたから人もいたんだろうと思うが、なにしろ犬の吠える声家外なにも聞こえず。
さらに1キロ弱ほど下ると小規模なダムがあり、そのあたりに集落があるようだ。
駅からちょっと下ったとこ...
駅から少し下るとこんな道。何も無い。だが、さらに少し下ると産廃処理場があった。犬が吠えていたから人もいたんだろうと思うが、なにしろ犬の吠える声家外なにも聞こえず。
さらに1キロ弱ほど下ると小規模なダムがあり、そのあたりに集落があるようだ。
駅からちょっと下ったところのカーブ。まるでモナコの・・やめとこ w。
右に下った先が上の写真。背後に枝道があり、案内板があった。
「大法寺 観音堂 伝武田勝頼墓」 なんでこんなところに武田勝頼の墓が?
よせばいいのに、行ってみた、というか行こうとした。しかし・・30分ほどあるいて諦めた。樹木しか見えない山道。とてもたどり着ける気がしなかった。
案内板、せめておおよその距離くらい書いてくれ。
駅に戻って、下から見る新改駅。
新改を通過していく特急南風3号 中村行。通過して行く、というより無視して行く。冷たいぞ、あんぱんマン。
線路。高知方向。特急などはまっすぐに通過していく。池田方面から来て新改駅に入る列車は左側の引込み線に入り停車、運転手が車内を反対側の運転台に移動して発車、写真右の線路に入り、駅に辿り着く。駅で再び運転台を移動し、発車、高知方面へ向かう。高知から方面に向かう場合は・・説明しない。左側にある小さいプラットホームみたいなものは、かつて有人駅だったころの信号場としての施設だろうか。
高知行、キハ32が引込み線に入った。
向きを変えて新改駅に入ってきたところ。
そしてまた向きをかえて高知方面へ発車していった。
11:42発、阿波池田行、1000系。これにて再び阿波池田を経由して坪尻へ。
よって次回は坪尻駅。
]]>
旅
2012-01-31T23:40:50+09:00
よいよい
NINJA BLOG
よいよい