駅を出る道は、現在一本しかない。
巾1メートル程度のメインストリート。メインストリートであるからして、アスファルト舗装であるのは当然である。下るメインストリートの先には四阿(あずまや)風の物件があった。小和田駅が一瞬脚光を浴びた時、ーー皇太子ご成婚、妃の旧姓が小和田(おわだ)であったというだけのことなのだがーー観光客が少なからず訪れたという。この駅で結婚式をしたというカップルまでいた。その式の写真は今も駅に飾られていたが、そんな観光客のためにつくられたものである。過ぎてしまえばかなりお間抜け、オーパーツみたいな代物であるが、(ちょっとちがうかw)これも一つの歴史というものか。四阿になにがあるかといえば二人懸けの木製の椅子である。背凭れが大きいのがそれ風。その背凭れには「小和田発ラブストーリー」「お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれていた。
四阿の手前で右に曲がれば、いきなり階段であった。そして階段の先には有名な廃屋が二棟。かつての茶工場だそうである。大きい方は住居も兼ねていたそうで、居住されていたらしい。
ネットで調べてみると70年代ころまでは稼動していたようである。廃屋になって三十数年から四十数年というところであろうか。
その母屋といいますか、大きい方の建物の南側へ回ってみた。戸が外れている。おおかた、どこぞの不埒者のしわざであろう。でかい家だが工場と住居が兼務されていたようである。写真でわかるように、なにやら茶の製造に使われたらしい機材が見える。ここに住んでみたいと思った私は変なやつでしょうか?
廃屋から歩いて数分。写真は廃屋方向に向かって撮った。右は天竜川。言うまでもないか。
鉄製の柵は、駅から帰る住民が、酔っ払って川に落ちないように、と設置されたものである。
さらに進むと右側にあった廃屋。立派である。住宅というよ、りまるで山城のよう。しかしながら、いつから放置されたのか、今となってはどこから行けばいいのかすらわからん状態であった。
さらにさらに進んで初めての分岐点。とてもそうは見えないかもしれないが分岐点である。右に進めば40分で塩沢集落に至る。なぜならばそういう標識があったからである。写真は撮ったがサーバースペースの問題もあり掲載はしない。で、とりあえず右方向、塩沢集落に向かってみた。
写真では出さないが上の写真、右方向に行けば、すぐ一軒の住宅がある。見たところ現在も居住されているようであったが定かではない。さらに鉄製の網で作られたような道というか、通路を進むと現れた吊橋。
さらに30分ほど行けば塩沢集落に至るようだが、時間的制約もあり、私は橋を渡ったところで引き返した。ここまで駅から約20分ほどである。写真撮りながらなのでかなりのんびりペースだとは思うが。
二つ上の写真の分岐点まで戻り、左へ行った。目指すは通行不能な高瀬橋。分岐から少し進んだところでこれである。神よ、我に幸運を。というほどのものでもないかw。
さらに進めば・・・おい、行き止まりか?
右の岩と中央の倒木の間に、人ひとり通れるくらいのスペースがあった。
そのすぐ先にあったのはこの光景。高瀬橋到着。分岐点から10分くらいである。
橋の残骸が残っているというか、引っかかっているというか。
こりゃ渡れと言われても渡れるもんじゃありませんな。
復旧しない理由、利用者がいないから。
数年後にはどのように変貌しているでしょうか。
このあと、来た道を戻り駅に帰った。他に道もなし。 次回 明るい小和田駅。